ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.12.20 00:17

クリスマスを憐れむ歌

       いよいよ明日は「せつないかもしれないSPECIAL クリスマスのせつない書店にようこそ」を行います。
    【出演】中村うさぎ、伏見憲明、枡野浩一、中沢健
    【司会】切通理作、しじみ 12月21日
     http://bit.ly/c77BZo 会場・阿佐ヶ谷ロフトエー 

   小林よしのりさんに許可を頂き、クリスマスを迎えようとする21日に『せつないかもしれない』の出張版イベントを行わせて頂くことになりました。

    冬至の長く深い夜の淋しさを紛らわすための祝祭だったはずのクリスマスが、とりわけこの日本では、いつのまにか「彼氏彼女」がいる人がメインのお祭りになってしまいました。
   クリスマスに淋しさを取り戻すイベントになればと思います。
   淋しい自分を憐れむというのではありません。
   クリスマスこそ孤独に耐え抜く強さを持った自分を育てる機会にしませんか?

   マッチ売りの少女が灯をともすことでもう一つの世界を見るように、クリスマスにふさわしいせつない童話や短編小説を振り返っていきます。

   その中で近代文学の作家がキリスト教にかぶれた時期の作品を読むのはどうかという提案が中村うさぎさんからありました。
  (詳しくは、会場である阿佐ヶ谷ロフトエーのHPで公開WebにUPされている「公開打合せ」をご覧ください。http://rooftop.cc/interview/002586.php

  提案を受けて、僕は芥川龍之介を読んでみました。
  そこで「悪(悪魔)とは何か」ということに大きな示唆を受けました。
   
   今日はその話題をしてみますね。
   ゴー宣や道場での話題とも必ずしも無関係じゃないと思います。僕にとっては昨日のブログの話題とも直につながっているんです。

   キリスト教では神と悪魔の対立が描かれます。しかし悪魔というのは、耳がとんがっていたり、口が裂けていたりといかにも怪物のような外見を持っているのではなく、美しかったり、あどけなかったり、いたいけな弱者だったりという姿で現れ、神に仕える者を試すのです。

  キリスト教というのは基本的に「お試し」の宗教です。試しにあってもなお、惑わされずに真実を見極め、にもかかわらず愛を実践できるかどうかが問われます。

  当然のことながら、信仰ゆえに清く美しい自分からもっとも遠い存在が「お試し」としてはハードルが高くなり、その分達成感が強くなります。だからキリスト者は弱き者、汚れた者、卑怯な者がある意味「大好き」なのです。

  と、ここまでは僕もいままで多少は見聞してきたのですが、芥川は『るしへる』という短編で、さらにこう言います。
 悪魔は単に、美しい顔をしたりあどけない「ふり」をしているのではなく、悪魔自身の中に「善」なるものを求める心がある、と。
  だから厄介なのだ、と。

  僕は「なるほど」と思いました。
  例として適当かどうかわかりませんが、たとえば身内含めて借金ばかりして、全然返せないという人がいたとしますね。その人がお金を借りるということは、貸す側にとって迷惑なだけでなく、本人を救うことにも実はなっていないことが、端から見てもわかっている。
  しかしその人が他ならぬ自分の目の前に来て「今度こそ真人間になるからお金を貸して下さい」と土下座して頼んできた時、その人の「今度こそ」という言葉の中にも、いくばくかの真実を見てしまうということがあり得る。演技だって、その瞬間本気でなければ、心を打つことが出来ないのでは・・・こういう可哀相な存在を救ってこそ、自分の愛が試されるのではないか?とつい思ってしまう。

  悪魔の中に善なる心を見てしまうということそれ自体が、「お試し」なのではないかなという読解を僕はしました。
  そして神と悪魔の対応関係を持つ以上、キリスト者はそこにしか目を向けていない。

  「本家ゴーマニズム宣言」第21話で、1933年にアメリカから中国に来ていた宣教師たちが何度騙され、同僚が何人殺されようと、一向に目覚めずに「お試し」と捉えひたすら中国人への犠牲的精神を発揮し続けたという事実を紹介していましたよね。
  小林さんはそこでアメリカの外交官ラルフ・タウンゼントの言葉を引きます。同じ宣教師たちが、日本に来た時、日本人のことは好きになれなかった、と。
  その理由は「可哀相な人間がいないから」。
  アメリカ人、とりわけ宣教師は、可哀相だと思えない人間は好きになれない。
  可哀相な存在にしか興味がないのです。
  日本人のように自分の身を律して、秩序を守る人間は興味がない。

  これは明日のイベントで取り上げるワイルドが『幸福な王子』で、高台から見つけた町の「可哀相な人」には胸を痛め自分の身を削ってでも尽くす銅像の王子が、自分の代わりに貧しい人への遣いとなって働いてくれたツバメの健康の悪化にはまったく気づいてもいないということにも通じます。
   
  あるいは太宰治の『駆け込み訴え』で、自分を信じてついてきてくれる人より、無識者のような存在を重んじるキリストに激しく嫉妬し、やがては裏切り十字架にかかるきっかけを作ることになるユダの物語にも通じます。

  太宰がキリストを売ったユダに関心を持ったのは、彼が日本人として「キリストが見ていないもの」を見て、それこそがキリストの十字架に架けられた原因ではないかと言いたかったのではないかと僕は思えてきました。

  明日は、日本人にとってのキリスト教や、クリスマスというものの受け止め方についても話をしていければと思います。

  ぜひ、遊びに来て下さい!

1221(火)せつないかもしれないSPECIAL

クリスマスの

せつない書店にようこそ


【出演】切通理作 しじみ

【ゲスト】中村うさぎ(作家)、伏見憲明(作家)、枡野浩一(歌人)、中沢健(作家・芸人)

OPEN18:30 / START19:30

前売¥1,500/当日¥1,800(共に飲食別)

【会場】 Asagaya/Loft A  

166-0004 杉並区阿佐谷南1の36の16のB1 TEL03-5929-3445

チケット発売日:107日 チケット取り扱い:ローソンチケット 【L:33986

阿佐ヶ谷WEB予約 http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/

問い合わせ:TEL03-5929-3445(阿佐ヶ谷ロフトA)

註:イベントタイトルは「書店」ですが、書店営業をするわけではありませんヽ( ̄▽ ̄)ノ 

 
当日はUSTREAMで生中継配信されます。
http://www.ustream.tv/channel/setunai-shoten
生中継は「ゴー宣道場」の方式に倣い、二部構成の第一部のみにしようかなと思っています。その後「ゴー宣ネット道場」のアーカイブに入れていただけるとのことです!

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

次回の開催予定

令和6年 9/14 SAT
14:00~17:00

テーマ: オドレら正気か?LIVE「民主主義に希望があるのか?」

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